近しい人が、私がLEDの影響で~と話し出すと、急に止まったみたいになるということが立て続けにあった。それは一瞬のことだったし、単にそういうことには関わらないでいようとする姿勢かもしれないけど、なんだろう、たぶんそうじゃない。思考でつきあうことはできなくなっていく、壊れるものがあっても再構築できるものもあるだろう。それは楽しみなこと。(12/10)



出先でなにげに無有日記を開くと、「’ここだけの雲’の出現は~~」が目に飛び込んで、一気に心が晴れた。目の前の厚く黒い雲に、思う以上に意識を取られてたみたい。用事を終えて、どこか歩こうと車を走らせていると、ふいにアスファルトがパーッと輝いた。それは見たことないほどの、強い強い光。見上げると黒い雲はずいぶん弱々しく、すごすごと引き下がっていくように見えた。(12/8)



目が覚めたらまずヨガのチャイルドポーズをするのがここ数年の習慣で、寝る前より張ってる背中をゆっくりほぐして起きる。それが今日はぜんぜん張りがなくて、ウソ!っと思わず探してしまった。腕を伸ばす、もっと伸ばす、からだぜんぶがやわらかい。勢いが出て食器棚の片付けをする、まだまだ捨てる物はでてくる。調子いいな~と買物に出かけると少し背中が張ってきたけど、これまでほどじゃないし、何より気持ちが軽い。(12/4)



生まれ育った土地に似た、閉鎖的な空気が漂う場所を歩いた足は、ひとつの道を選んだ。それは今まで歩けなかった道。萎縮させる何かが消えてしまったのだろうか。(12/3)



よく知る土地の知らない路地を歩いてみた。家並みを縫うように流れる人工の小川に沿って進んで行くと、思わぬところに田んぼが広がっていて、太陽の光がひときわ強力に感じられた。立ち止まって光射す方を向くと、エネルギーが体内を駆け巡ってゆく。太陽と共存してる、と浮かんでうれしくなった。(12/2)



蒟蒻芋から作られてる洗顔石鹸がとてもかわいいのを知って、見たいな手に取りたいなと思ってたら、きのう夫がそのお店に連れて行ってくれた。秋の晴天の日曜、京都に車でなんて無謀だと思ったけど、ありえないくらいスムーズで驚いた。その石鹸はほんとに蒟蒻みたいにぷにぷにで、いつまでもさわっていたくなる。5色ある中、迷うことなくピンクを選んだ。どこか嬉しくなる色。一緒に入ってたパンフに、洗顔の習慣は道元さんが広めたというようなことが書かれていた。少し調べてみると結構有名な話だった、びっくり。(11/19)



朝起きて青空を見上げたら、太陽にもっと元気になってもらいたい、そんな想いがぽこんと出てきた。それは自分が知る自分の気持ちの在り処より、もっと奥の方から来た感覚。知らないはずのその場所を、なぜかなつかしく思う。(11/18)



最近PCの動きが遅くなり、いよいよ買い替えだな~と思ったけど、なんとなくその気になれないまま日が過ぎていた。この1年夫の使用時間が増えている、ならもう一台あったらと思い立ちノートPCを購入。早速セッティングを始めると、だんだん細胞が萎縮するような感じになり、そこから離れてもしばらく縮こまったままの感覚が残る。私これ使えないかもと言うと、夫は平気と言う。でも続けて、100歳くらいになんか影響出るかもなと、ぽろっと。日頃LEDに関しては、なんともない、科学的根拠は?とか頑なだけれど、認めたくないだけで本当は違和感を感じてる、それが垣間見えた。(11/17)



太陽を覆い隠す黒い雲に負けず、友と大阪市内を歩く。土地に染み付いた負は曇天だと活発になるのか、いろんな反応が出る。でも風は心地良く、休憩しながらも歩くことをやめないでいたら、いつのまにか何かが強化されたような…。キタもミナミもLEDが増える一方で、昼間でも足早になってしまう場所があるけれど、天満橋のあたりに行くと、カフェから見える夕暮れの風景は、やわらかな光をまとっていた。(11/13)



太陽の下と、LED空間とを行き来していた一日、太陽の力を実感した一日。(11/11)



くじらの卓上日めくりと、壁掛けカレンダーを作りました。よかったらご活用ください。
ふたつは裏面を印刷する際、用紙を裏返す方向が違うので気をつけてください。
日めくりは横向きに、壁掛けカレンダーは上下に裏返します。(10/30)



まるで脚本があるかのようなふれあいに、最初はおっかなびっくりだったことを忘れてしまう。そんな出会いがちょこちょこ増えて、気づけば怖れがずいぶんうっすらと…。何も、しなければならないことはなく、ただすべきことに身体を案内してもらっている。(10/20)



日頃気にしていることで否定感情が強くなった時ふと、地球に負担がかかる、と浮かび、そこを後に進んでいける自分を少し不思議な気持ちで眺めていた。「復活」がUPされるたび心身根こそぎ…という感じで動きが出る、でも今までのように不安や怖れが巻き込まれたりせず、静かに去っていく。待ち望んだ未来に近づいてる、その実感がじわじわと…。(10/10)



近隣を歩くのがいつまでたっても好きになれなくて、どうにか歩いても頭が忙しくなる一方なので、歩くためだけに交通機関で市外へ出て、というのをしばらく続けてみた。すると思考の働きが変わってきたのか、実のない空想にどっぷりつからなくなってきた。そういう思考は続かない感じ。いつまでも自由にはさせない。(10/9)



前に何度か行ったことのある自然食品店を久々に訪れると、なんかスムーズに店長さんとLEDの話ができる流れになった。居合わせた子連れの若いお母さんも興味あると近づいてこられたので、ちょっと意気込んでしまったけど、以前よりは会話の主導権が握れたと思う。フォトブックはお店で興味のある人に見てもらう、チラシもあるだけ置いていってと言ってくれた。難しさは自分の中にある、少しずつ溶けている、心配は、いらない。(10/6)



人生で初めて、言葉が自分のものだった気がする。少しオーバーかもしれないけど、こんなふうに、話していて言葉と自分が一体になってる感じは今までなかったと思う。不思議で心地良くて、なんだかふわふわした。(9/26)



久しぶりに訪れた平城宮跡。ここでもLED雨によって生命力を奪われ、台風に耐え切れなかった桜の痛々しい姿があった。いつも気持ちよく歩けた広場は、ど真ん中に建築中の大きな建造物によって空気が重くなってるよう。なぜどうしてがむくむくしてくると、ふいに陽射しが強くなり身体を突き抜けてるようだった。たくましいー、と思うと少し足が軽くなった。ただ歩いていくだけ。(9/23)



ペダルを踏んでもぴくりとも動かないと思ったら、しっかりロックがかかっていたような…。いつまでも親子関係でぐずぐずしてたくはない。まず、いいかっこしてしまわないように! なんだけどここがまだ、、つい口をつく言葉は誰のものか。(9/22)



手ごわい背中のこわばりと目の重さがスーッと楽になったと思ったら、「再生(6)」が次々と…。ひと息ついたのも束の間、すぐ次が来る、否定感情を増幅させてしまう思考、もう繰り返したくない。思考を自分のものにする、と浮かぶ。(9/19)



ときどき車で通る川沿いの桜並木が悲惨な状態になっていた。前からLEDの影響ですごく傷んできてるのを見てたけど、なぜか写真には残せない場所だった。根元から倒れてる、太い幹が真ん中から折れてる、傾いてビニール紐を巻かれてる木も多く目に付いた。LED照明がなかったら暴風にも立ち向かえ、耐えられたはず…(9/9)



カラッポの冷蔵庫、やけに明るい。いらない感情がくっついたもの、ぜーんぶ出ていって、さっぱりしたみたい。(9/8)



台風の飛来物やもろもろで役所や関係各所を回ったとき、そこら中に見えない壁があるように感じられた。でもそこで右往左往してる時間はなかったので、引っ込むところは引っ込んで次へ行ってるうち、どうにもならない感じはなくなって、どうにかなるさがやって来た。電気が通って、日常が戻って、大きい画面でMEを浴びて、何かが漲ってくる。(9/7)



台風による停電が夜になっても復旧せず、ぽつんと取り残された感覚がよみがえるような、心細さに呑み込まれそうな感じがあった。孤独感は隙を突かれやすい。少し前にTVの防災特集で観た簡易ランタンをつくる。懐中電灯を上向きに固定して、レジ袋などの白いビニール袋をかぶせるというもの。あたりがほんのり明るくなって、ほっとした。(9/4)
(懐中電灯の上に、水を入れたペットボトルを置く方法もあります)



あまり望ましくない形でも、それは浄化すべきものとして目の前あるだけ。怖がることを恐れないというのはヘンな言い回しだけど、恐怖心が出てきても今までのように足がすくんで動けなくなるということはなくなった。だから、迷うことなく進んでいける。(8/29)



長く離れてても縁ある人は、かつてのときを共にしてたんだろうなと、告げられた言葉から思う。そのときの何ひとつ話し合うことはできないし、この先も感じあえる機会はないのかもしれない。でも今ここでは、LEDのことだけ知ってもらえたらそれで。(8/28)



 少しばかり肩すかし…、でも大丈夫、そこから始まってゆくものがある。(8/23)





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